透明のめがねをぶら下げて。
私たちってどうしても「見たいもの」しか見えないようになってるんだよな。
大雨が降っているのを見て、「こんな大雨最悪、、、」と思うか「晴れの日もあれば雨の日もあって、恵の雨、ありがたいな」と思うかは、全部自分で選べる。
損をしたのか得をしたのか、お金があるのかお金がないのか、これも選べる。
こんな私じゃだめだ、、、と思うか、こんな私もまた私か♪と思うか、これも選べる。
だいたい私たちの世界って自分の妄想でできてるからね、気を付けないと妄想まみれになって、どこにもない桃源郷をいつまでも追いかけるような夢の見方になってしまう。
こんなにものが一杯であふれた世界で本当に「なんもない」と思うのなら、それは「ある」ことに気づいていないだけ。
そこにきれいはお花があるのに、「ある」って気づかないといつまでも「そこにきれいなお花はない」の世界のまま過ごすことになるでしょう?
何が本当に「あって」、何が本当に「ない」のか。
本当に「ない」ものだとしても、それが手に入った時に感じたい気持ちは、今そこにあるものでとっくに感じてるんじゃないか?
じゃ、なんでそれは「ない」んだろう。
本当に欲しいんじゃないんじゃない?
もしくは、
欲しくない理由が実はあるんだね。
もっともっともっと、自分の周りをみてみよう。
そしていろんなものを「存在」させてあげよう。
色のついためがねは外して、一回久々に透明のめがねにしてみよう。